Last Updated on 2024年10月15日 by yukayuka
桐島聡さんは、偽名を使い土木会社で働いていました。
近隣にお住いの方なら思い当たることがあるのではないかと思います。
そこで今回は、土木会社で働いていた桐島聡さんの風貌について近隣住民の反応がないか?を調査します。
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桐島聡は土木会社で働いていた
桐島聡さんは「内田洋 (うちだ ひろし)」という偽名を使い神奈川県内の土木会社に住み込みで働いていたことが分かりましたね。
その土木会社があるのは、藤沢市南部の閑静な住宅街の一角でした。
桐島聡さんは、会社からほど近い古びた木造の2階建て住宅に1人で暮らしていたということです。
会社近くに住む男性は会社関係者から
”生い立ちのはっきり分からない不思議な人だけれど、雇うことにした”
と、聞いたと言います。
この男性にも桐島聡さんは、「内田」と名乗っていました。
余程人手が足りていないのか、もしくは日雇いであれば社会保険を支払う事もないので真面目に働いてくれる人なら雇うということでしょうか。
桐島聡の現在の風貌や近隣住民の反応
指名手配された当時、桐島容疑者はまだ大学生で21歳。
現在は70歳なので当然風貌は変わっており、近隣住民は桐島聡さんに気づかなかったでしょうね。
桐島聡さんは潜伏中の身なので、周囲との付き合いはなかったと推測しましたが、”仕事仲間と冗談をかわし、仲良くしていた。「うっちゃん」と呼ばれていた”という証言がありました。
また、桐島聡さんが働いていた土木会社と取引のあった会社代表は、
”男は無精ひげ姿だった。車や重機の運転をする姿は見た事がない。あまり会話は交わさなかったが、優しい口調だった”
と語っています。
他にも近くに住む女性は、
”普段からニット帽をかぶり、黒縁めがねをかけていることが多かった。今思えば確かに背格好などは似ていたが、桐島容疑者がこんなに近くにいたかもしれないなんて・・・”
と驚いていました。
マスク姿で歩いていた桐島聡さんに声を掛けた男性は、桐島聡さんが「体の具合が悪い」と言って辛そうだったと言っていました。
2024年に入り、桐島聡さんが路上で倒れたところを家まで送ったという人は、
”しゃがみ込んじゃって。しゃべるのがやっとな感じで、抱えて行って。こんな人が仕事できるのかなと思って。もうガリガリ。”
と、話しています。
また “手配写真と比べると3分の2くらい痩せた人相だった” とも話しています。
桐島聡さんの部屋の様子については、
”(部屋の広さは)あって六畳。乱雑な感じで、どういう風に寝泊まりしているのかなという。ストーブとかも2個ぐらいあって”
と語っていました。
桐島聡さんは、体調を崩してから一人暮らしは大変だったのでしょうね。
まとめ
今回は、桐島聡を名乗る男性が神奈川県内の土木会社で働いていた事が分かり、近隣住民の反応をまとめました。
しかし、桐島聡さんは、危篤状態から回復することなく亡くなり、事件や逃亡中の生活については語られることはありませんでした。