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富田望生の壮絶な生い立ちや家族まとめ!父親は事故死で母親はホテル勤務

Last Updated on 2024年1月21日 by yukayuka

ドラマや映画で大活躍中の女優 富田望生さん。

明るい笑顔が印象的な可愛らしい方ですね。

しかし、富田望生さんの生い立ちは壮絶だったようです。

そこで今回は、富田望生さんの壮絶な生い立ちや家族をまとめました。

富田望生さんの父親や母親についてもご紹介します。

富田望生の生い立ち

富田望生

富田望生さんは2000年2月25日に福島県いわき市で生まれ、2011年の東日本大震災で被災し、東京に引っ越すまではいわき市で過ごしました。

11歳で被災し、東京に引っ越すというのは大きな環境の変化ですね。

上京当時について富田望生さんは次のように語っています。

何の前触れもなく突然福島を離れなければいけなくなったことは、大きな衝撃でした。東京に来てから、学校へ通うことも、外出することも、ごはんを食べることさえ自分のなかで腑に落ちない感覚でした。

福島ではピアノを習っていて、将来はピアノの先生になる事を夢見ていた望生さんでしたが、東京ではピアノを習ってはみたものの福島で習っていた先生でないとやる気にならず、すぐに辞めてしまったようです。

そんな時にテアトルアカデミーのタレント募集広告を見つけた望生さんは、ビビッときてオーディションに応募し、見事に合格!

何もしていないこの状況を変えたい。ただそのためだけに、インターネットでたまたま見つけたタレント募集に応募しました。合格してももちろんすぐに仕事があるわけではなかったのですが、週に1回レッスンに通う場所がある、ということがそのときの私にとってはすごく心強かったんです。女優になりたいというよりは、ピアノに代わる習い事感覚でした。

慣れない環境の中でレッスンに通う事が心の支えだったようですね。

2015年のデビュー以来、ドラマや映画で大活躍の富田望生さんは女優という天職に出会うために東京へ導かれたのではないかと思います。

富田望生の父親は事故死?

富田望生さんの父親 康裕さんは、サーフィンが趣味で神奈川県の湘南に住んでいましたが、福島県いわき市に引っ越して望生さんの母親 アミさんと出逢いました。

康裕さんが25歳、アミさんが28歳の時です。

しかし、康裕さんは望生さんが生まれる5か月前に不慮の事故で亡くなったそうです。

2020年に成人式を迎えた富田望生さんが「ヒルナンデス」に出演した時に母親からの手紙が紹介されました。

2000年2月25日、パパが天国に帰った日から5か月後の月命日、パパそっくりな望生に逢えたことが人生の一番の喜びです。

生まれてききてくれてありがとう!

富田望生さんはパパ似なんですね。

たしかにそっくりな康裕さんの写真がありました!

富田望生の母親はホテル勤務

富田望生さんの母親 アミさんは、福島県いわき市で生まれ育ち、市内のホテルに勤務していました。

望生さんの父親が亡くなってからは女手一つで望生さんを育てています。

望生さんの名づけはアミさんで、空から”みう”というと聞こえてきて

「望むように生きてほしい」という思いを込めたそうです。

しかし、2011年の東日本大震災で被災しアミさんが勤務していたホテルも被害を受け、東京にある系列ホテルに転勤になりました。

いわき市内にあるホテルはいくつかあります。

  • ワシントンホテル
  • ホテルルートイン
  • 東横INN

全国展開しているホテルでもあるので、今も都内のどこかで働いているのかもしれませんね。

まとめ

2015年のデビュー以来、数多くの映画やドラマ、バラエティー番組にひっぱりだこの富田望生さん。

明るい笑顔の裏には、壮絶な生い立ちがありました。

生まれる前に父親を亡くし、多感な時期に震災で地元を離れて上京し母親と二人三脚で頑張って来られた富田望生さん。

しかし、望生さんには父親の面影があり、そばで見守られているようですね。