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上田敬博医師のwikiプロフィール!学歴や経歴まとめ!

Last Updated on 2024年6月24日 by yukayuka

京都アニメーション放火事件で青葉真司被告の治療に当たった上田敬博医師。

上田医師は熱傷治療のスペシャリストですが、身体の90%に火傷を負った青葉被告の一命を取りとめ、法廷に出られるまでに回復させたのは奇跡です。

上田敬博がこれまでに医師としてどのような道を歩んできたのか気になりますね。

そこで今回は、上田敬博医師のプロフィールと学歴や経歴をまとめます!

  • プロフィールまとめ:出身やどんな家庭で育った?
  • 学歴まとめ:高校や大学はどこ?
  • 経歴まとめ:研修医時代から現在まで

上田敬博医師のwikiプロフ

上田医師
名前上田敬博
(うえだ たかひろ)
生年月日1971年12月17日
年齢52歳
※2024年4月時点
出身地福岡県福岡市

福岡県福岡市で父親が医者の家庭に生まれた上田敬博医師。

父親は九州大学の勤務医でしたが、幼稚園の時に父親の医院開業のために一家で北九州市に引っ越しました。

上田医師は優秀な外科医の父親と比べて幼少期には劣等感を抱いていたといいます。

上田医師曰く父親は

九州大に行くような賢い人で、IQが高くて、何かを読んだらすぐに覚えてしまう。五カ国語ぐらいできるんですよ。外科(医)出身で、手先が器用

引用元:鳥取大学付属病院 広報誌 『カニシル』

父親がどれほど優秀な方だったのか想像ができますね。

上田医師は掛け算を覚えるのがクラスで一番遅く、スポーツもそれほどできるわけでもなかったといいます。

それでも小学校でサッカーを、中学でラグビーを始めるなどスポーツがまったくできなかったわけではなさそうです。

また、上田医師は父親について次のようにも語っていました。

彼は患者に寄り添う医師でもあった。深夜に患者から痛みに耐えられないと呼びだされ、上田は往診に付き添ったことがあった。鎮痛剤を打ち、これで帰れると思った。ところが父親は腰を上げない。鎮痛剤が効くのを確認してからでないと帰れないというのだ。患者のことを第一に考える男だった。

引用元:鳥取大学医学部付属病院 広報誌 『カニシル』

父親は医師として優秀なだけではなく、人間性も尊敬に値する人物だったのですね。

上田敬博医師の学歴まとめ

卒業証書

上田敬博医師の学歴をまとめます!

出身高校や大学についてご紹介します。

上田敬博医師の高校はどこ?

上田敬博医師の出身高校は福岡大学付属大濠(おおほり)高校です。

福岡大学付属大濠高校

福岡県福岡市にある私立の中高一貫の学校で偏差値は62-71

卒業生には俳優の池松壮亮さんやお笑い芸人の博多華丸さん、プロ野球選手の山下瞬平大選手がいます。

上田敬博医師は高校時代を振り返り次のようにコメントしています。

生徒会生活委員長をしていました。体育祭では企画から練習時の進行まで全て生徒会主導で運営したいと(おそらく生徒さんたちは最後まで気づいてなかったかもしれません)先生に直談判し、それを快く承諾され無事体育祭を成功させることができたのは自信になりました。学生の自主性を重んじるというのはまさにこのことであり、大濠はそういう点では非常にフレキシブル(柔軟)で自由なところがあると思いました。

引用元:福岡大学付属大濠高校HP

上田医師はリーダーシップも持ち合わせていたようで、この頃には劣等感は感じないですね。

上田敬博医師の大学はどこ?

上田敬博医師の出身大学は近畿大学医学部です。

近畿大学

医師を目指して父親の母校である九州大学医学部を受験するも合格できず、三浪の末に私立の近畿大学に進学しています。

上田医師は国立大学信仰があった父親から”医者になっても認めない”と言われ見返すために猛勉強しました。

夏休みや冬休みの期間は遊んでいる同級生とは違い、研究室に入り浸り勉強に励んでいたといいます。

偉大な父親を見返すというよりは追いつきたい気持ちが感じられますね。

上田敬博医師の経歴まとめ

履歴書

続いて近畿大学を卒業後から現在までの上田敬博医師の経歴をまとめます!

東神戸病院研修医
大阪府済生会千里病院千里救命救急センターレジデント
兵庫医科大学病院救急・災害医学教室
(救命救急センター)
准教授
副センター長
Robert Wood Johnson University Hospital外傷センター
近畿大学医学部付属病院救命救急センター
講師
鳥取大学医学部付属病院救命救急センター
教授
鳥取大学医学部付属病院救急災害医学
教授
鳥取大学医学部付属病院高度救命救急センター
教授

研修医として勤務して東神戸病院では、週5日病院に泊まり込んで経験を積みました。

大阪府立千里救命救急センター時代には大阪教育大学付属池田小学校で無差別殺傷事件が起こり、兵庫医科大学病院救命救急センター時代にはJR福知山線脱線事故が起こるなど、救急救命の現場を経験しています。

そして近畿大学医学部付属病院に勤務していた時に京都アニメーション放火事件が起こりました。

被害者ではなく加害者の救命をするというのは葛藤もあったのかもしれませんが、医師として目の前の患者の命を救うために尽力しています。

救命医療の現場では精神的に参ってしまう医師も多いといいます。

上田医師はどのようにメンタルを維持しているのでしょうか?

上田医師は次のように語っています。

父親が亡くなったとき、これより悲しいことはないなって思ったんです。そこでぼくは泣かなかった。それ以来、すごく冷静というか、感情を押し殺す癖がついてしまった。しゃべらへんかったら、感情がないというか、むっちゃ冷たく見えると言われますね。

引用元:鳥取大学医学部付属病院 広報誌 『カニシル』

上田医師の父親は2001年に他界されています。

医師としても人としても目標にしてきたであろう父親を亡くした悲しみは計り知れないですね。

上田医師が言うようにそれ以上の悲しみはないと思います。

これからも父親の医師としての姿勢は上田医師にとって大きなものでしょう。

まとめ

今回は、上田敬博医師のプロフィール、学歴や経歴をまとめました!

  • 1971年福岡県福岡市生まれ
  • 父親は九州大学病院の勤務医で優秀な外科医だった
  • 幼稚園のときに父親の医院開業のため一家で北九州市に転居
  • 高校は福岡大学付属大濠高等学校
  • 大学は近畿大学医学部
  • 様々な病院で救急救命の経験を積み、現在は鳥取大学医学部付属病院勤務