Last Updated on 2024年10月15日 by yukayuka
桐島聡さんが亡くなってから、この男を知る人物からの証言が、次々と明らかになってきています。
桐島聡さん人物像やどのような生活をしていたのかが少し垣間見れます。
そこで今回は、桐島容疑者を知る周りの人たちの反応をまとめます。
・親族は?
・知人は?
・近隣住民は?
・被害者家族は?
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桐島聡の親族
桐島聡さんの親族は複雑な心境でしょうね。
桐島聡さんのきょうだい2人からDNAの提供を受け、DNA鑑定を行っていることから、少なくとも桐島聡さんには親族が2人いる事がわかっています。
桐島聡さんは、警察署内に安置されましたが、親族はご遺体の引き取りを拒否しています。
桐島聡さんが事件を起こしてから50年間、親族は”指名手配のポスターを見るたびに嫌な思いをしてきた”と語っており、これまでの心労は相当なものだと想像できます。
親族としては「内田洋」という偽名のまま名乗らずにいてくれた方が良かったのかもしれませんね。
桐島聡の知人
桐島聡さんの知人から意外な暮らしぶりが語られています。
たびたび訪れていたという飲食店の店長によると、
”うーやんと呼ばれていた。月に1度来るか来ないか。ビールが一番好きだったと思う。”
”ちょっと酔いが回ってきて、リズミカルな音楽がかかってくると、ちょっと踊ったり、盛り上がって「イェイ、イェイ」と言ったり”
また桐島聡さんが常連だったというバーの店主は、
”毎日自炊もしてお弁当も自分で作ってた。きれい好きで1度着た洋服は絶対洗う”
と語っていました。
桐島聡さんが住んでいたのは古びた木造2階建ての6畳ほどの部屋。
段ボールなどが散乱していると報道がありましたが、病気で体調が悪くなる前はきちんとした生活をしていたのでしょう。
桐島聡さんは意外にも堂々と普通の生活をしていた事がうかがえますね。
桐島聡の近隣住民
桐島聡容疑者の近隣住民の反応は、
”前はよく酔っ払って帰ってきていた。”
”ギターを弾いたり、ラジオをガンガンかけるから騒音トラブルで警察が来たことがある”
”自宅近くの道を舗装していた”
桐島聡さんは、ひっそりと暮らしていたわけでもなく、堂々と暮らしていた様子ですね。
桐島聡の被害者家族
桐島聡さんの被害者家族はどのような心境でしょうか。
”事件の事をきちんと説明してほしかった”
(現在も他に事件に関与した2人の容疑者が逃亡中なので)
”遺族からすると事件は終わっていないし、何も変わっていない。”
“発見が遅すぎた”
”彼らの思想は理解できない”
被害者家族の反応は、事件の真相がわからないまま桐島容疑者が亡くなってしまったことへの無念が伝わってきました。
まとめ
今回は、亡くなってから出てきた桐島容疑者の人物像や生活ぶりについてまとめました。
桐島聡さんを知る人たちからは、普通の生活が垣間見れましたし、被害者家族からは無念さが伝わってきました。
生きているうちに桐島聡さんからすべてを語ってほしかったですね。